WEEKEND|2020|core of bells|installation view
General Museum
ジェネラル・ミュージアム
「経済を全般的に考慮することが決してないために、消尽とは反対のことが一般的に意識されている。〔 … 〕特定の目的に限定されないエネルギーの活動というものが考慮されないのだ。 全般的な生物の活動は、太陽光の活動の一環であり、その結果なのである。生物全般にとって、 地球上のエネルギーはつねに過剰な状態であり、問われるべきはつねに、浪費をどうするかという問題なのだ。」
ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分 全般経済学試論』
たとえばニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムには、絵画や彫刻をはじめ、服飾品、 家具、武器などさまざまなジャンルものがコレクションされている。そこには、天然石に鳥の羽をくくりつけただけのフェティッシュや火打石を割っただけの石器なども含まれている。ただし 天然の石はコレクションに含まれていない。メトロポリタン・ミュージアムが収集するのは、人が作った人工物であり、自然物は自然史ミュージアムの管轄となる。そして自然史ミュージアムでは、人の手の加わっていない無垢な自然物が求められる。この人工物/自然物という分割は、近代 のミュージアムの最も根幹にある制度的枠組みとなっている。この枠組みの背景には、近代の人間中心主義的な考え方、経済における「生産」の概念と、文化における「創造」の概念への信仰がある。富を生み出すのは人間の労働であり、芸術を生み出すのは人間の創造力だと信じられてきたのだ。しかしそうした考えは、局所的な視野がもたらす錯覚である。生産物や作品と呼ばれる人工物を広い視野でよく観察してみれば、それらが自然の多層的で長期的な作用のネットワークの中で形成されたものだということが分かってくる。現実には、人間がゼロから創造したものなどひとつも存在していないし、「人工物」というカテゴリーは自然物に纏わせた観念でしかない。 近代のアートミュージアムは、「環境から自立した持ち運びのできる人工物」としてのアートを前提としている。近代アートは基本的に、スタジオ、マーケット、ミュージアムという近代的な枠組みの中を循環する存在なのだ。未来のミュージアムは、そうした近代の枠組みに依存せずに、 世界を全般的に捉えていく試みの先にある。そこでは、局所的な対象ではなく、偏在するネットワークに目を向け、創造的なものではなく、持続的、散逸的な時間に注目していくことが必要になる。ジェネラル・ミュージアムでは、経済的、宗教的、地質学的、芸術的、政治的、道徳的、化学的、生物学的、心理学的、天文学的、地理的、数学的なあらゆる現象が横断的に扱われる。そこでは近代的なアート・ミュージアムでも自然史ミュージアムでも決して見ることのできない総合的な世界の姿が展示されるだろう。
General Museum
ジェネラル・ミュージアム
2021-
Run by An Art User Conference
運営:アート・ユーザー・カンファレンス
twitter.com/general_museum
An Art User Conference
2014年設立。
主な活動として《Robert Smithson whithout Robert Smithson》、《未来芸術家列伝》などがある。
「アート・ユーザー・カンファレンスは、「芸術なしの芸術」、つまり既存の芸術という制度の外で生じる芸術を探求します。アーティスト、観客、批評家、キュレーター、コレクター、美術館などが各々の役を演じ分け、「芸術」という物語を支えています。物象化された作品、「創造性」という神話、「公共性」という幻想がその舞台装置を作り上げます。アート・ユーザーはそうした芸術の物語には参加しません。アート・ユーザーは芸術を「使用」します。使用は、物象化された作品を解体し、創造の神話をレディ・メイドの時間に墜落させ、公共性という幻想を消耗させることでしょう。使用の目的は芸術を使い切ることにあります。使い切ることは芸術を倹約しながら死に向かわせます。」
anartuser@gmail.com